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SUMMARY:Magic Azure (光玄、北京一、Shavdo) Live
DESCRIPTION:Magic Azure (光玄、北京一、Shavdo) Live@高松THIRD STONE\n2024年9月7日(土)OPEN 19:00 START 19:30Charge: ¥3\,000- (ドリンク別)OA: lopess\n\n\n●北京一 プロフィール\nゼンジー北京に師事し、2代目ゼンジー・一億の名で北京のアシスタントを務める。1971年9月、北京二と漫才コンビ「北京一・京二」を結成、数々の舞台やテレビ番組で活躍するが、1973年コンビ解散。コメディよりもパントマイムの世界に惹かれるようになり、1974年にはマイム修行のため渡米する。\n帰国後、1975年にはソウルファンクバンド「ソー・バッド・レビュー」に参加しボーカルを務める。1976年解散[3]。渡仏して、1981年には近代マイムの父と呼ばれるエティエンヌ・ドゥクルー （英語版）に師事。ドイツ・フランクフルトにてダンススクール「TANZELL」を開校し、アートディレクターを務める。帰国後もパントマイム、舞台演出で活動。\n2005年には、バンド「金子マリ Presents 5th Element Will」に参加。\n2014年7月25日、フジロックフェスティバルにおいて、ソー・バッド・レビューとして一日限定の再結成ライブを行う。\n2018年、北京一・京二としての活動を正式に再開する。\n2021年、浅井宣通（メディア・アーティスト）制作による北のパントマイム作品「EVOLUTION」が、イギリス「Lion Film Festival」の短編部門において、最優秀賞（Best Short Experimental Film）とオリジナル賞（Most Original Short）を獲得\n\n\n\n●光玄（こうげん）プロフィール1955年生まれ。\n70年代後半、詩人片桐ユズルに誘われ、ライブツアー「かわら版キャラバン」に参加。その後、本格的に音楽活動を展開する。\n1982年、1st.アルバム『ばれたら終わりや』を発表。メッセージ性の強い歌を歌う「社会派」シンガーのイメージが定着。\n1990年、2nd.アルバム『89から90』を発表。作詞に郭早苗が加わり共同作業での歌づくりのスタイルを確立する。同時に自分の内面や生活を描いた歌がウェイトを占めるようになる。\n1993年、TAMBOURINEMAN 福井としおのプロデュースで金森幸介とのライブツアーを記録したカセットアルバム『幸介＆光玄LIVE』を発表。\n1995年1月、阪神大震災発生、被災する。\n1995年5月、16年ぶりに再開された「春一番」コンサートに初出演。聴衆に強い印象を与える。\n1996年3月、3rd.アルバム『宙を舞う』を発表。震災体験を主軸に、アジアの人々、神戸長田の町、肉親への思いを織り込んだプロデューサー郭早苗のコンセプトが、光玄の歌唱と金森幸介のギター演奏によって豊かに表現され、高い評価を得る。\n1997年、日本人ミュージシャンによるバディ・ホリーのトリビュートアルバム『Rockin Buddies』（バンダイミュージック）に参加、日本語でアプローチした「True Love Ways」を歌う。\n2000年、いとうたかお、金森幸介らのアルバムレコーディングにブルースハープで参加。\n2002年、1st.アルバム『ばれたら終わりや』をCD化再発売（ケンロードミュージック）。大阪中之島中央公会堂で開かれた、反差別国際運動日本委員会（IMADR-JC)理事長の武者小路公秀がコーディネータを務めるヒューマンライツセミナーに出演。\n2004年11月、マーティン・スコセッシ・プレゼンツ『The Blues』（音楽を愛する7人の監督による7本のブルースロードムービー）神戸上映でオープニング・アクト出演。\n2005年3月、4th.アルバム『悲しい夜は自由になれる』を発表。ラストの１曲を除き、光玄のギター、ハモニカ、そして歌だけの文字通りのソロアルバム 。長年歌い込んできた「長田ロード」「新長田の夜」をはじめ、自分が暮らす町の時間の流れや移り変わる風景をナイーブに表現し、シンガーとしての円熟ぶりが好評を博す。\n2006年10月、大阪人権博物館内リバティホールで催された「ホンヨンウン追悼コンサート　祭祀・三喪」の企画に加わり、出演者としてもステージに立つ。\n\n　音楽評論家藤田正は、光玄は「海外のアーチストであるビッグマウンテンやプリンス同様、確実にピープルズ・ミュージシャンへの道を歩んでいる」ミュージシャンである、として熱い支持を寄せる。\n\n\n●Shavdoプロフィール\nShavdoとは神の音霊というサンスクリット語のサニヤスネーム。 Shavdoは、ジャマイカのレゲエサンスプラッシュにバンド「ザウンドシステム」で日本人として初めて参加。 帰国後、喜納昌吉やゴンチチ、有山じゅんじなどとベーシストとして共演。 ９２年ブラジル世界アースサミットに出演。 この頃から、アマゾンの音と癒し、瞑想音楽の傾向が強くなる。 ’77年にインドに移住プーナのラジーニシ\,アシュラムにて音楽を担当する！ ＯＳＨＯの弟子になったあと、ウェザー・リポートやギル・エヴァンスのライヴ・アット・ザ・パブリック・シアターで活躍したブラジル人パーカッションプレイヤーで、やはりＯＳＨＯの弟子になったニベダノとともに音楽を行い、ＯＳＨＯが亡くなった時もそこで音楽を演奏した古参サニヤシンだ。 奈良の天河神社の護摩音楽も２０年以上も担当した。
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